遠征日記 4月30日

<三浦豪太日記>

ごんパパになる!!!

昨日はC1に泊まった。
6000mの高度では通常あまりよく寝られないのだが、昨日は珍しく夜中から朝まで、熟睡とまでいわないが、睡眠をとることができた。
これは僕にとって不思議なことである。最初の6000mは眠れないつもりで音楽や考え事を用意するのだが、目を開けたら朝になっていたので自分が眠れていたことにびっくりした。

ここからの話は、日記で書くと出来すぎといわれるかもしれないが、妻の加恵が子供を出産した夢を見たのだ。
そして、朝7時30分、C1で朝食を食べているとBCにいる兄から無線が入り
「おめでとう、パパになったよ」 と、連絡が入った。
あまりの偶然にびっくりした、出来すぎだと思う。
でも、やはり実際にC1でパパになった瞬間だった!!!

僕は自分が父親になるということを考えていなかったわけではない
昨日、75歳になる自分の父が、一流のクライマーでも手こずるアイスフォール(氷瀑)を咳で苦しみながらも、C1までたどり着いた。
僕たちは昨日アイスフォールを登り、今日そのアイスフォールを降りてきた。
アイスフォールを通る道のりは険しい。

430b.jpg

幾多のクレヴァスを通り、垂直の氷壁を登らなければならない。そのどれもが、簡単に命を奪ってしまう緊張感が満ちている場所だ。空気は希薄で、思いっきり肺に取り込んでも、なかなか体を動かすことができない。
父は全身、渾身の力を入れてそれらを超えていく。時には息絶え絶えになりながらも、少し休んでは、また立ち上がり咳き込みながらも、次の難関を通っていく。ここを通らないと次のキャンプにはいけない、ここを通らないとエベレストには登れない。ここを通らないとBCには戻れない。こんな道しかないのだから、進むのだ。

430c.jpg

選んだルートがこんな道だからしょうがないとは言え、まったく理不尽な道だ。
しかし、自ら選んだ道がどこに続くのかというのも気になる。だからこそ父はこんな厳しい道でも登り続けるのだろう。
父親というのはそういうものなんだろうな、と漠然とした思いで父がアイスフォールを登る姿を昨日みて、今日降りる姿を見た。
僕は父の挑戦を側にいながら、ときにはサポートし、ときには共に冒険をしてきた。
僕の父親像は僕の父そのものだ。
いつも何かにチャレンジしていて、いつも誰かを巻き添えにして、そしてユーモアたっぷりにそれを行うのが僕のお父さんだ。

今日、僕は父親としての役割を受けることになった
しかし、すぐに父になれるわけではないだろう
どうすれば父になれるか、それはこれから妻と子供と考えることなのだろう
ただ僕はこんな父親になれたらいいなという人を父に持ち、そして、一緒にずっとそれを考えたいなと思う妻がいる、とても幸せだ。
しかし、見習い父親として本当に幸運に思うのは今、険しい道に父と一緒に歩んでいることではないかなと思うのだ。
なんだかよくまとまらないが、そんな気分で今、高度順化で痛めた体を癒している。
 

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風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point C1
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point
食事 Meals  
朝食 Breakfast キムチ雑炊
 
昼食 Lunch そうめん
 
夕食 Dinner
 
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遠征日記 4月29日

<三浦豪太日記> 

朝4時にお茶がくるのだが、それよりももっと早く朝起きていた。
今日がはじめての高度順化のせいか、朝4時という早朝にもかかわらず目が覚めてしまった。
久しぶりのアイスフォールを通り抜けるのに少し緊張していたのかもしれない。
その雰囲気は実は僕だけではなく、父も村口さんも五十嵐さんも、みんな朝食を食べている時に感じていた。
みんなあまり口を開かず黙々と朝食を食べていた
気になったのは父の咳だ。
昨日の夜も咳き込んでいたし、今朝おきてからも咳き込んでいた
父はそんな雰囲気を紛らわせようと、
「わしの石炭(咳、痰)鉱業は不況じゃ」
といっていたが、その後、再び咳き込んでしまったため、なかなか駄洒落もしまらない。
そんな朝のスタートだった。
今朝は寒かった、温度計を見るとマイナス9度。
アイスフォールを通るうちに暖かくなるのかなと思ったけど、日が当たる中部についても風が強くなかなか暖かくならなかった
アイスフォールは前回(2003年)と比べると前半部分はあまりクレヴァスにかけた梯子もなく、急な高低差のあるセクションが少ないように見えた。
しかし、中間から終盤にかけてすごく長く感じた。
梯子が3個つながったクレヴァス地帯や、15mはあろうかという垂直の壁があったり、しかもそれがひとつだけではなく連続して7、8箇所と続くのだ。
緊張と実際にアスレチック的な体力を使える箇所が多々あり、高所の酸素の少なさも加えてかなりの疲労がたまった。
それでも父はひとつひとつ諦めずに登っていった。
前回、あと1時間ほどでつくかなと思ったアイスフォール上部についても緊張をさせられる箇所が続くため、その倍の時間、2時間ほどかかった。しかし実際に感じた時間はそれ以上の時間だったかもしれない。
時間的にはアイスフォールを抜けるのに8時間半、前回と比べてもそんなに悪くない時間だが、今日はC1がとても遠くに感じられた。

初めての高度順化はいつどこの山で行っても辛い。
しかし、今回はかなり消耗させられた。

C1についてから、父の咳が心配だったので、まずは父にテントに入ってもらう。
アイスフォール上部についてからは、いいペースで歩くものの、咳が一度始まるとそこでしばらく立ち止まる。空気が薄い上に体力も消耗しているのでかなり辛そうだった。
酸素を吸って体力を回復してもらう。

キャンプに着いたら、まず行わなければいけないのは水の補給だ。
空気が乾燥し、酸素も少ないので呼吸から水分が失われる。汗も相当かいているので、水分の補給を行わないと血液がどろどろになって心臓に負担をかけて、酸素を体の隅々まで送ることができないのだ。
だから、まず僕たちは周りの氷河や雪を砕いてテントのなかでEPIガスで雪を溶かし水を作る。
水を作るのは大変だが、実は僕はこの水を作る作業が好きだ。
五十嵐さんのテントに転がり込み、二つのバーナーとコッフェルを使って水を作る。
ひとつ目のコッフェルは小さめで、まずは氷を溶かす。
氷がある程度解けたら、それを大きめのコッフェルに移し、さらに加熱させお湯をつくる。
小さめのコッフェルはある程度水を残しておいて、次の氷を入れる
それを続けながら沸いたお湯でお茶を飲むのだ。
お茶を飲みながら、お茶話をするのが好きなのだ
水分を取るとスポンジが水を吸収するように、身体が潤うのがわかる。
SPO2を見ると70、心拍数はなんと120
下界のスポーツジムで運動しているくらいの心拍数だ。
座っているだけなのに一分間に心臓が120も鼓動している、僕の心臓さんは大変だろうなと思いながら、五十嵐さんと今逗子ではアワビがおっきくなっている頃だろうなという話をする。
夕方5時頃に沸いたお湯で夕食を作る。
キムチ鍋とアルファ米といういつもの定番メニューだ
今回はSBの「キムチの素」を使い、ふんだんに海鮮乾物を入れたおかげでとても美味しいご飯をいただくことができた
夕食後、まだ6時半だが、みんなそれぞれテントに戻る
高度は6000m、なかなか眠れる高度ではない、寝袋の中でごろりとしているだけの時間だ。音楽を聴いてもなかな眠れないので、しょうがなく、スケッチブックを出して今日の光景を思い出して絵を描くことにした。
父が氷壁を登っているところを描いているうちになんとなく眠くなったので、目をつぶるとなんと朝になっていた。

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気温 Temperature (Hi/Low):
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風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point BC
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point C1
食事 Meals  
朝食 Breakfast かきおかゆ
 
昼食 Lunch ナン、卵、マンゴージュース
 
夕食 Dinner キムチ鍋、アルファ米
 
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遠征日記 4月27日

<三浦豪太日記>

 今日、装備テストのため、アイスフォールを45分ほど入ってみた
装備をすべてつけ、氷河を歩く感覚はとても気持ちがよかった。
久しぶりのアイスフォール、遠くから眺めていると、とてもじゃないけど入り込めるところではないと思うが、中に入るとまるで氷の美術館、いたるところに氷柱やクレヴァスがある。
すぐにでもC1に行きたくなるが、意外に歩いてみると疲れているのがわかる。
合計で1時間くらいしか歩いていないのに、かなり消耗した
あさってにはC1へ向かって8時間ほど登り、標高を700mほど稼ぐ。
大丈夫だろうかと少し心配。

午後、ミーティングが行われた、ここにいる30隊を対象にしたミーティングで各隊のリーダーやシェルパが来ていた
議題は5月1日から10日の制限について
ミーティングは4時からだったが、4時20分くらいまでなかなか始まらない
そしてはじまったと思ったら突然アナウンスメントが行われた
「今回の5月1日から10日にC1、C2に宿泊はできないという話がありましたが、それは、5月1日と2日のみとなりました、それ以外の日程は通常通り登山活動を行ってもよろしい。なお、5月2日以降10日まで登山活動をするのにあたり、以前としてC2以上はクライミング禁止である。またその期間は必ず、どこに、何人、誰が行くということを必ずネパール軍に報告すること」
といった内容のことを言った。
僕たちの知りたいことが最初の2分で終わってしまったので、唖然としていた。
結局、制限がかかるのは1日と2日のみとなった事は喜ばしい。
ということは少し逆算すると、中国の聖火隊があがるのは5月1日、2日か3日のどれかになるのではないかと推測してしまう。
聖火隊の行方はいかに!!!

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アイスフォールの中を歩く三浦雄一郎

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天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point
食事 Meals  
朝食 Breakfast ご飯、おくら、納豆
 
昼食 Lunch うどん、さらだ
 
夕食 Dinner うどん、さらだ トムヤンクン鍋
 
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遠征日記 4月26日

<三浦豪太日記>

BCがだんだんと出来上がってきた。
今朝は、トイレ・テントが狭いということでトイレ・テントのリモデルをした。
その後、倉庫に行って食料の箱を全部開けて、藤島さんが動きやすいようにアレンジをして、その後に装備チェックを行った。
午前中、頑張ってたくさん動いたおかげでBCが大変機能的になったとの噂だ。
特に、トイレの改良がとてもよかったとの評判だ
今回はトイレの便座を樽の上に乗っけてみた。
樽にはビニールがはいっていて排泄物をキャッチするシステムになっている
ここBCは衛生管理と環境保護を大切にしているため、全ての排泄物はキチンと持ち帰るのだ。
この樽の上に便座を乗っけるシステムはシンプルながら特許が取れるのではないかと思うほどの自画自賛的アイデア商品だ。なにしろ許容範囲が広い上に漏れがない。
しかし、アイデアがよかったのだが使い勝手がよくなかった
最初に設置したときは、置いた樽の周りを石で囲んだ。しかし設置場所がよくなかったのか樽がぐらぐらした。すると便座はその上に載っているだけなので、便座が樽の上を滑るので、安定した排泄行為が困難になる
もうひとつの問題点はトイレ・テントが前より後ろのほうが広い設計になっていたため、なかなかたつスペースがないうえに、足場の石がぐらぐらすると、とても評判が悪かった。下手したら転んで樽に手を突っ込んでしまうとまで言われた。
この問題を解決するため今朝、毛利さんと一から設計を見直した
樽の固定と安定、足場の強化、そしてテントのスペース設計。
このリモデルのおかげで、非常に快適な空間が広がり、トイレで雑誌まで読めると、評判の高いトイレとなった。
その間、兄と産経さんグループは2mドーム・テントの作り直しをしていた。デスクが設置され、とても快適な仕事空間ができていた。
昨日まで噂になっていた、5月1日から10日までの登山制限が大幅に軽減するかもしれないという話が、ネパール軍のスニールさんからあった
中国から課せられた条件というのはあまりにもエベレスト登山にそぐわないため、条件の見直しをしているという。詳しい話は明日、4時からクライマー、およびシェルパミーティングで話すとのこと。

午後になって、午前中たくさん仕事をしたおかげでかなり時間ができた。
暇な時間をどうしようかということになり、父とBCめぐりをすることにした
正式なネパール軍の発表によると、現在32隊がすでにBC入りをしており、その後、8隊増える予定で、全部で40隊がBCに入る予定だという。
以前聞いた50隊というのはあくまで噂で、正式には40隊だそうだ。
それにしてもスケールが大きい。
その為、BC村の中心にはベーカリーができているという噂を聞きつけ、父と探しにいってきた。
僕たちが行くと意気込んだが、実はそのベーカリー、僕たちのBCのすぐ隣という事実が発覚し、さらに驚く ― いつも見ている後ろの青いテントがそうだったのだ
ベーカリーはECOトレックという会社が運営しており、ヒマラヤの環境について意識を高める目的で設営されているそうだ。
なるほど、中に入ってみると様々なパネルが展示され、50年前と今のヒマラヤの写真が比べられたり、環境に対する取り組みの説明があった。
ベーカリーは、ガスオーブンまで持ち込んでの本格的ベーカリーだった。父はアップルパイ、僕はクロワッサンを頼んでほおばりながらパネルを見て回った。

その後、すぐ隣のベトナム隊に挨拶に行く
ベトナム隊は国が始まって以来のエベレスト登山隊だ。メンバー全員、かなりのハイテンションでナムチェですれ違ったが、ここでもハイテンションで次から次へと父に質問したり話しかけたりした。あまりにも興奮をしていたのか、僕たちにお茶のつもりで出したのがただのお湯だったが、彼らのハイテンションぶり気をとられ、つい一気に飲んでしまった
その後、ベースキャンプ・エリアにいる警察を仕切っているナワ・ヨンデンさんのテントにお邪魔する。ナワ・ヨンデンさんは今回の元凶はネパール軍だという。
ネパール軍が取り仕切っているおかげで、中国の言いなりになってるとまで言っていた。
どうやらネパール警察とネパール軍はあまり仲がよくないようだ
ナワ・ヨンデンさんのところで話しを聞いた後、メディカル・センターがあるというのでいってみたが、誰もいなかったので、自宅(BC)に戻ることにした。

夜、イタリアのマルコのキャンプへ招待された。
父、兄、僕の3人でいった。
彼らは本物の登山家である。
14座を無酸素で登り、いまだに登山を続けている
彼らとの最初の出会いは2年前のシシャパンマだった。あのとき、父のファンだといって、生ハムを持ってきてくれた。
今回も過ぎたる接待をこのヒマラヤ山中で受けた
おいしくアルデンテに仕上がったパスタに、野菜スープ、彼らの田舎から持ってきたというチーズとアーティチョークハートの漬物、そして何よりも彼らと僕たちの登山話に花が咲いた。
イタリア人はとても陽気で楽しい、そして本当の登山を楽しむスピリットに満ちていた。
今度は僕たちのテントで藤島さんの料理をご馳走するのだということで別れた。
暗い道、歩いてかえるとベトナム隊のテントから、奇声や笑い声が聞こえてきた
・・・・いまだにハイテンションを保っているらしい。
ここ、エベレストBCは世界から人が集まってくる。エベレストという山は世界中の人々にとって憧れであるとともに、どの国でもそう簡単に登りにこれる山ではない。
ここにくるだけでも相当な努力の末に来ている、そしてみんなが、エベレストに登るという共通の目的を持っている。 40隊、40の夢。みんな真剣に挑む姿は国境を越えた楽しさがある。

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エベレストBCベーカリー

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天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point BC
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point
食事 Meals  
朝食 Breakfast ご飯、納豆、おくら
 
昼食 Lunch お稲荷さん、いくら巻き
 
夕食 Dinner パスタ
 
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遠征日記 4月25日

<三浦雄一郎日記>

ベースキャンプ

午後4時15分、 一日じゅうゴロゴロして体がなまってしまうので、アイスフォールの入り口を毛利さんと散歩した。2003年の時と違ってベースキャンプあたりの氷河がかなり溶けて、10m-20mある氷塔が小さくなって、氷河が後退していることがはっきりとわかる。今年のアイスフォールのルートはとってもいいと、アイスフォール担当のシェルパ・チームが自慢していた。エベレスト西稜寄りのクレバスの少ないルートを選んでいるようだ。雪崩の音が五年前に比べて少ないような気がするとおもっていたら、アイスフォール右の中腹にアイスブロックが崩れ雪崩が発生した。このアイスフォールはやはりヒマラヤ最大の危険地帯にはかわりない。
ベース・キャンプができたので早めにプジャをやって、登山活動に入りたいと思っていたが、シェルパカレンダーによると月曜日までそれぞれの日が悪いので駄目だという。ほぼ四日間、おかげで、なにもせずBCで時間をつぶす。2年前のシシャパンマ遠征のときに出会ったイタリアの2人のマルコがやってきて俺たちのプジャは明日やると。彼らは仏教徒でもないし、プジャはあまり関係ないのだろう。ともかく、我々にとってこの4日間はお預け。体調はこのBCまで20日間ほどかけて登ってきたせいか、5300mの高所でものんびりしている分には平地とさほどあわりはない、下痢と風邪からやっとぬけだした。

<三浦豪太日記>

昨日、メンバー全員が無事ベースキャンプ入りして、今日は朝からベースキャンプつくり。
いろいろなものを動かしたり、直したり、まだまだ体の調子がこの高度になれていないから、ちょっとでも荷物を動かすと息切れが激しい。
これからまた高度を上げて行動しなければいけないなんて信じられない
考えてみればルクラの2400mからトレッキングを開始してここベースキャンプ、5300mまでゆっくりと高度順化しながら来たのだけど、これまでの高低差は2900m
ここベースキャンプから8848mの頂上までは8848m-5300=3548mある
ここまで来た高度差よりもこれから頂上まで行く高度差のほうが激しいのだ。
一ヶ月かけてここまで来たけど、これから一ヶ月かけて頂上に行くため、登ったりくだったりするのだ ・・・考えるだけ気が遠くなるけど、ここからが本格的な登山だ。

ここの天気は朝必ず晴れ、昼過ぎになると必ず曇る。
夕方になるとたまに雲が晴れ夕景がとても綺麗だ

夕方、夕景が綺麗だねとアイスフォールの方面を見ていると、ネパール軍の人たちがこっちを見ている。
僕たちは、見張られているのかなと思い、睨み返すと、テクテクとこっちに歩いてくる。
お、やべっ!と思い、何も悪いことをしていないのに身構えてしまった。
すると、彼ら、なんと父と一緒に写真を撮りたいということだ。
ネパール軍の親玉、スニールは2003年5月22日、父がエベレストの頂上に立った同じ日にエベレストの頂上に立ったという。
その時から、父に敬意を抱き、今回ここに来ていることを知り、一緒に写真をとりたかったのだが、シャイでなかなか言い出せなかったらしい。
たまたま、僕たちの隊で一緒にエベレスト登ったペンバというシェルパがいたから、彼を通して一緒に写真を撮って欲しいという旨を伝えてきた。
話してみるとなかなか気さくな人で、
昨日、中国からの高官がベースキャンプ視察に来た際、新たにエベレスト登山の条件を付け足されたが、それを突っぱねるということだった。
その条件とは今までの、5月10日のC2登山制限に加え、5月1日から5月10日まで、C2にて宿泊をしてはいけないという条件をいまさら中国がきて付け加えるというのだ。
これは僕たちにとっても、高度順化に影響するためぜひ、新しい条件をつきはねてほしいと思う。
その後、イタリア隊のマルコ(06年シシャパンマのときに友人となった)が来た
彼は8000m峰14座すべて登ったばかりだという。
ぜひ、一緒に食事をしようということで明日食事をすることになった。
・・・パスタが楽しみだ

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天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point 終日BC 5300m
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point
食事 Meals  
朝食 Breakfast ご飯、納豆、おくら
 
昼食 Lunch てんぷらそば
 
夕食 Dinner おでん、ご飯、ひじきいため
 
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遠征日記 4月24日

<三浦雄一郎>

やっとネパール側、エベレスト・ベースキャンプに着いた。これからいよいよ75歳エベレストチャレンジのスタートに立つことになる。ゴラクシェプからベースキャンプに行く道すがら、ネパール軍のヘリコプターが三回ほど上空を旋回していた。あとで聞くとネパールの中国大使と高官がBCへ来たらしい。ベースキャンプは全部で52隊と聞いたけど、実際、エベレスト登山許可があるのは32隊である、ともかく中国側から、チョモランマ山頂に聖火が上がるまで、我々は本格的な登山活動ができない。今回、先月のチベット問題(騒乱)から発した様々な事象により、当初より予定していた我々のチョモランマ登頂をネパール側に変更せざるをえなかった。すでに、去年のチョモランマ偵察時に、ベースキャンプを中国軍隊が支配しており、そのとき、我々のシェルパに、来年は外国のチョモランマ隊は一切いれないというはなしがあった。その後、様々な条件が変わりながら5月10日以降聖火隊が登頂した後なら解放するという話となり、我々も日本を出るときにその対応を考えていた。日本国内では、崔駐日中国大使や大使館の文化部の方々が応援してくれていたけれども、その間にチベット問題はひろがり。それでも三浦隊だけは特別に許可の可能性ありという話があったが、僕らが期待した時点でのチベット入域許可がおりなかった。もし行けたとしてもわが隊だけのチョモランマは、他の登山隊が強いられたいろいろな条件を考えると受け入れるのは難しかった。私は、去年の秋とそして今回日本出発する前も、ひそかに今年はネパール側になるのではないかと、思うところがあった。結果として、2008年チョモランマは再び、ネパール側から登攀するエベレストになった。ギリギリまで様々な選択肢を考慮したが、日本からのラサ送り予定の装備を念のため、カトマンズにおくっておいた。そしてチョモランマがエベレストに変更になった。

中国側ルートを断念・・・・これについて日本のテレビ局などから感想を求める質問がヒマラヤまで飛んできた。
答えは:
「登山や探検活動、あるいはスポーツにおいても昔から、こうした政治がらみの問題が幾つもあり、それにともなう予定変更はたびたびあることだ。今回はネパール政府が我々に急きょエベレスト登山の許可を出してくれたので、75歳の世界最高峰・・・もし富士山に例えると、御殿場コースからの登攀をしていたが、道路の崩壊や、いろんな事情で河口湖側からの登攀になることがある。しかしルートはどのような道でも、富士山を登ることには変わることはない。」
今回の75歳の世界最高蜂チャレンジにむけてのヒマラヤへの4回の遠征をこころみた。さらに2回の心臓の手術、その結果去年のチョモランマ6600mまでの高所への対応ができた。さらにそれ以上の可能性、登頂への意欲がわいてきた。 今回は特殊な事情を抱えた年であり、チョモランマがエベレストに変更になったとしても、自分の年齢と心臓の手術などいくつかの障害を乗り越えたチャレンジである。目指すのは世界最高蜂。今年のエベレストの結果がどうであり、将来、いずれかの時期に、わたしのチョモランマのチャンスがくるかもしれない・・・。

<三浦豪太日記> 

朝目が覚めて、テントからはいずり出ると、目の前には360度のヒマラヤの景色が広がっていた。
僕はテントから生まれた気分だ。
まだBCはできていないけど、それでもここはこれから1ヶ月間お世話になるところだ。
ここにいること自体わくわくする。
今回チョモランマからエベレストになったが、今朝はここにいることがとても正しく感じた
それは、何を根拠にそれを感じるわけではないが、普通なら、また登るのかと感じるところを、僕はまたここから登れるのか今朝感じたのであった。
今回のエベレストはどんな顔を見せてくれるのか、それが今から楽しみだ。その気持ちをエベレストのアイスフォールに向けて心の中で叫んだ。
朝からハイテンションである。

その勢いで、朝トイレテントから出てきた五十嵐さんを捕まえ、BC散策をすることにした。
一体全体僕たちはどういうところにいるのかと把握することから今日をはじめようと決めた。

まずは昨日、BCに入ってきた反対方面に歩いていくことにした。BCにはメインロードという道があり、ここがBCの環状脈となっている。すべてのヤックやポーター、BCをに入る登山隊はこのメインロードを通り分岐していく。
それぞれのBCに特別に道があるわけではなく。どこかに行こうと思えば他の隊のBCを直線的に横切ることもできる。
しかし、モレーン隊は起伏が激しく、最短距離で行こうとしても急斜面な氷に阻まれそれ回り道をせざる得ない。何度も周り道をしていると方向感覚がわからなくなり、自分のBCがどこにあるのかわからなくなる。大まかな位置はアイスフォールやヌプツェ、プモリといった地形を見て把握するが、何しろここには500ものテントがあるのでピンポイントで自分のテントがどこかというと心下ない。
各国のBCはそれぞれ個性的で、テントの色や、ダイニングの設置、ソーラーパネルを使っていたり、発電機を使ってライトの装飾をしていたりと、かなり個性に富んでいた。

気がついたのは、もしかしたら、僕たちのBCが一番中心にあり、せまいのでは
朝ハイテンションでおきたのが、散歩を終える頃には少しトーンダウンした。
しかし、他人の庭はよく見えるというもので、すめば都とも言う。
朝食を食べ終える頃には、うちのBCをエベレストBCのキングドムにしてやろうと意気込みながら始めた

まず今日の作業はみんなが来るのでそれぞれのテント場の修理である
とりあえずは場所は決まっているのだが、まだそれぞれ狭かったり、斜めだったり、ラフだったりと手をつけるところはたくさんあった。
ひとつずつ整理していく
今朝の作業を見てやはりシェルパのすごさに感動した。
彼らはつるはしとスコップを持たせるとスーパーマンになる
一心不乱につるはしで氷をたたくと氷の山が崩れる。瓦礫の山も一瞬にしてスコップではいてしまう。
12時を回る前にメンバー全員のテント場が整い、その上にテントが張られていた。
こうして見るとやはり住めば都だ。
お昼にヘリコプターの音が鳴り響く
ネパール軍のヘリが、中国大使(ネパール在中)をBCにつれてきたという
かれらは1時間ほど視察してまたヘリコプターで帰っていった。
中国の影響は現在ネパールでかなりある

メンバーは12時30分頃到着する
みんなを歓迎する。まだ、日本食が箱から出ていないので、まだシェルパ料理だが、それでもヤックカレーにこれまで食べていたバティ食との違いにショックを受ける
バティ食は確かにおいしいところはあったが、メニューはほとんどみんな同じといってもよかった。
新鮮な野菜がカトマンズから届き、それを調理してくれるだけで大満足である
午後は昨日、大まかに分けた荷物の中からら個人装備を取り出す
荷物はBCに直行させたものの中に、夜寝るのに必要な暖かい寝袋などが入っているので、それが見つけられないと多分夜は寒い思いをすることになる
なにせ昨日の夜はマイナス9度まで下がったのだから。
ドームテントも立派にできたので、中に電気製品や医薬品を入れる
発電機が回り、電気環境はしっかりと整った。

夕方になり、シェルパの一人、ペマがネパール軍の親玉を知っているというので、お父さん、僕、兄、ラクパさんと挨拶することにした
何せ目の前なので川をひょいと越えるだけでいける。
ネパール軍の親玉はスニールさん。ペマと一緒にエベレストに03年登ったという。
スネールさんはすでに僕のちちがくるという噂を聞いていた
ぜひ、会いたいということだったので今日あえて光栄だという

ただし現在の条件は厳しく、通信はここに預け使う時には一言かけるように、撮影は原則的には5月10日までだめだが、事前に言ってくれれば、なるべく目立たないよう撮影してくれればOKだという

一通り挨拶した後、それほど印象は悪くなかった
しかし、毛利さんがひっきりなしにカメラをだしてお父さんを撮影している姿をみて、他の隊からクレームが来たらしく夕方、僕たちに注意をしに来た
まあ、他の隊に強制をしているなかネパール軍の前で堂々とテレビカメラを出していたら当たり前だが…

ということで、今日からBCの生活が始まるのであった。

img_1043.jpg
夕景のヌプツェ

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つるはしで氷河を崩すシェルパ達

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天気 Weather  
天気 Weather:
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low):
湿度 Humidity:
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point ゴラクシェプ
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point BC
食事 Meals  
朝食 Breakfast チャパティ、野菜カレー
 
昼食 Lunch ヤックカレー、ダル
 
夕食 Dinner キムチ鍋、お赤飯
 
Today's Biometrics

遠征日記 4月23日

<三浦豪太日記>
昨晩の夕食の時のミーティングで、突然僕も先発隊としてBCに入り、BCの事前設営、及び荷物整理を手伝うことになった。
おもったより荷物の到着が早く、25日BC入りのはずが一日繰り上げ、24日にBCに入れることが決まったのからだ。
全員、同時にBCに入ってしまうと、寝泊りするところがないのでとりあえず先発隊が23日に入り、場所を整理してから本隊が翌日に入ることになる。
ここに送る荷物は大変複雑なルートを経由してきたので、全体を把握しているのは僕と五十嵐さんしかいないのだ。
当初、チョモランマに登るためネパールの高度順化用に送る荷物の通し番号とラサに送るための通し番号を作った。
しかし、その後チベット政情が不安定になったため、チョモランマ登山を見据えながらも高度順化の期間をネパールのメラピークで行うかもしれないということで、本格的な装備をラサ行きから抜き、新たにカトマンズ送りの通し番号を作った。
最初の高度順化が終わった時点で、どうもチベット入域自体が怪しいので、エベレストにプランを変更する事になるが、その時にラサに送るはずの荷物もカトマンズ送りとなる。
その番号はラサの通し番号であった。
すべての装備が結局カトマンズに送られることになったのだが、内容と番号がすでにこの時点で複雑になっていた。これに加えて、カトマンズにすでにデポしてあるものを合流させた。
それぞれの荷物が終結した後、今度はこれを各30キロに調整するために、荷物をいろいろなコンビネーションにまとめたものをカトマンズのラクパさんの家で行い、そしてすべてに通し番号を再度振りなおした。その数なんと80以上!!!
しかし、統一した通し番号がないシェルパの荷物と合わせたとき、100頭以上のヤックの背中に乗せた荷物はとてもではないが管理できないのだ。
その為番号は3度4度と書き直され、その情報を殴りがきにしたリストの存在は僕と五十嵐さんしかもっていなかったので、前置きが長くなったが、必然的に僕がBCにいかなければ収集がつかない状態になったのだ。

それまでのスケジュールでは、僕は今日カラパタールに登り、エベレストを拝んでから翌日にBCに入るはずだったのが、突然のスケジュール変更のためそれもできなくなってしまった。
悔しいので、朝4時半におきて朝飯前にカラパタールを上ることにした。
僕は今スケッチブックを2冊持っている。
そのうちの1冊はトレッキングで全部使い切ってしまおうと思っていたものだ。
トレッキングスケッチブックは後3枚ある。そのうちの一枚は絶対カラパタールから見たエベレストを描こうと思っていた。
しかし、朝、アラームで目が覚めず、起きたのが5時だった。
結局、登り始めたのが5時半。7時までにかえらなければいけなかったのでぜんぜん時間がない。
しかたがないので、エベレストが綺麗に見えるところまであがろうと思い登った。
45分ほど登り、頂上まであと20分というところで、腰をすえてエベレストを書き始めた。

朝日はまだエベレストの裏側にある。
カラパタールから早朝にエベレストを見ると、この時期、太陽はエベレストのほとんど真後ろから来ることになる。
僕が腰を下ろした6時15分はまだエベレスト側には太陽の光が当たっていなかった
しかし、しばらくすると日の光が頂上を斜めに照らし始める
日光はまるで鋭い刃物のように斜めにエベレスト切っていた。空の色も、後ろからエベレストに当たる光でさえぎられるところとそうではないところで空は分断されていた。
時間がほんの少したつだけでその光が当たる面積が増えてくる。斜光だった光もだんだん横ばいになってきた
次々と変化するその様子に僕の技術でその時間をスケッチブックの中に捉えきれない。
6時45分、まばゆい光と共に、太陽がエベレストの西稜の肩から突然飛び出してきた
太陽の元気よさをめいいっぱい表現するような登場だった。
その光に一瞬にしてエベレストが消えた
まるでエベレストそのものから太陽の光が発せられるような錯覚を覚え、エベレストを見失った。
しばらくして目が慣れるとおぼろげな影だけが見える。
僕はここが引きどきだと思い、山から降り始める。
とても満足のいく朝だった。

朝8時20分、ゴラクシェプからエベレストBCに出発する
五十嵐さんも村口さんも前日からBCへ往復しているためペースが速い。
一生懸命ついていくが、病み上がりの僕(こういうときだけ病み上がり)にはちょっときついペースなので、自分のペースで行くことにする。
それでも1時間45分ほどでBCついてしまった。
BCにつくとやはり、予想はしていたが、びっくりしたのはテントの数。
まだ入り口しか見ていないが、それだけでも100は超えているだろう。
BCの入り口付近ではナワ・ヨンデルさんがいた
彼はロルワリン(僕たちの使っているトレッキング会社)の出資者の一人であり、優秀なサーダー(シェルパの親玉)でもある。
彼はよく、ネパールの警察の山岳訓練の教官をしている。
今回、いろいろな複雑な聖火リレーの状況がネパールにもとび火して、いろいろ面倒なレギュレーションができている。
ナワ・ヨンデルさんはその秩序を守る側にいる。
むしろそっちのほうが大変だ。理不尽な要求を徹底しなければいけないのだから。

ご苦労さんといって、僕たちのBCに案内してもらう
僕たちのBCは昨日話にあったとおり、ネパール軍の目の前だった。ネパール軍と僕たちのBCの間には小さな小川が流れているが、大きな一歩を踏み出せば簡単に超えられる。
僕たちのBCは本当にエベレストのテント村の真ん中だ。
氷河のモレーンの複雑な地形の中にあり、高低差が激しい。
前にもはなしたことはあると思うが、モレーンというのは基本的には氷河の上にある。
一見岩だらけに見えても石一枚引っ剥がすと氷がしたからできている。
氷河のすごい力が回りの山肌を削ったり、落石によって氷河の上に石を堆積させる。氷河は下方に動くのでどんどんその石はたまっていくことになる。
僕たちがテントを張るのはその石の上で、その石のすぐしたには氷がある。
その為、春、氷が解け始めると激しく地形は変化する。
前回も最初はしっかりとしたテント場だったところが崩れ、最後にはテントが落ちてしまったこともある。
今回の場所はもっと手強そうである。
五十嵐さんのテントは現在の小川があるすぐ横だが、この小川も一ヶ月もたてば立派な川になるだろう。五十嵐さんが流されなければいいが・・・
今日は、BC入り初日で、基地つくりの第一歩だ。
しかし、やることがたくさんビジュアル的に山積みされていて、それで、やる気をそがれる。
まず、ルクラから来た荷物が山積みになっていた。テント場はまだ発展途上、キッチンテントはできているが、場所が悪いので移さなければいけない。
どれから手をつけていいのかわからないので、とりあえず僕たちの寝床をカバーする。シェルパ達に言って、テント場基礎工事を行ってもらう。
彼らはつるはしとスコップで、何でも作ってしまう。そう、まるで氷山を動かしたり氷山を壊したり、巨大な岩を動かしたり粉砕したり、砂利で整地を行ったり、ありとあらゆるBC作成に必要な土木作業をとてもうれしそうに行うのだ。
彼らはトレッキング中はキッチンに入り込みキッチンの手伝いをしたりお茶を運んだりするが、多分彼らの表情が一番輝いているのは、この土木作業のときだろう。
見る見るうちにBCが作られていった。
その後、倉庫をつくり、日本から来た80物ある荷物の大まかな整理を行う
日本で作ってきた輸送リスト、現地においてきたリスト、そして番号を振り返られた表を交互に見ながらの作業だ。
とにかく、息が続かない。
荷物ひとつ動かした後、肩で息をしながらの作業だ。
夕方になるまでには、さっきまで感じていた作業に対しての無力感は大分軽減されていた。
何しろ、すべての荷物を仕分けして見た目だけでも目の前から荷物が消えてくれたのだから。
夕食はシェルパのまいたけカレーとポテト、味付けが抜群にいい。
まだ、五十嵐さん、村口さんと僕の3人だけのBCだ。
なんだがお祭りの前夜、まだ誰も着ていないお祭り会場3人占めしている気分だった。
夜、テントにもぐりこむ
久しぶりの自分のスペース。荷物は全部広げられるし、うまく整理すれば手に届くと頃に必要なものがある空間。
これから厳しい登山が始まる前、自分の空間を持てる人時の幸せを感じながら寝袋に入った。

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カラパタールより、朝日に照らされるエベレスト
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BCつくりに専念するシェルパ達

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天気 Weather  
天気 Weather:
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low):
湿度 Humidity:
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point
食事 Meals  
朝食 Breakfast ゆで卵、トマトスープ、パンケーキ
 
昼食 Lunch 豚カレー、ダル
 
夕食 Dinner まいたけカレー、ダル
 
Today's Biometrics

遠征日記 4月22日

<三浦豪太日記>

今朝起きた時、昨日までの感覚と確実に違った。
朝起きたときはまだ確実にはいえなかったが、昨日まで感じていた喉の奥が焼き付けられるような感覚が去り、もしかしたら風邪が治ったかもしれないという感覚が朝の目覚めでわかった。
高度は4900、最初に来た高度で朝の目覚めがあること事態僕のこれまでの経験であまりなかったことだ。
ロブチェに最初に来るとまるではじめての遠足に来た時のように眠れない。
別にこれからの行程に興奮しているわけではないのだが、単純に酸素が少なくなるため、夜眠れなくなり夜中、いろいろ考えている。
その点、昨日の夜は眠れた。
前日と前々日、風邪がひどく、眠りが浅かったせいだろう、おかげで寝た感とがある。
まだ、体を動かしていなかったので、どれくらい歩けるかまだその時点ではわからなかったが、とにかく昨日ロブチェに来た時よりも大分ましな歩き方ができるだろうという予感が朝起きた時に感じた。

今朝感じた感覚は正しく、昨日よりもよっぽど楽に歩くことができた。
昨日までは高度順化後退とまで疑ったが、やっぱり風邪でよかったと、場ちがいな感動を覚えながらゴラクシェプまで行く
ゴラクシェプは現地語で「カラスの墓場」ということを以前に父に教わった。
実は本当にその意味があるというのは確認していないが、もし本当だったら、つける地名の名前としてはあまりよくはないのではないかと思う
前に見たスティーブンキングの映画と小説になった<ペットセメタリー>を思い出す。
ゴラクシェプは一般のトレッカーが歩いていける限り、もっともよくエベレストが見える、カラパタールのという小高い丘の入り口にある。
その為、世界各国からエベレストの雄姿をその目で見ようと集まるのだ。 
しかし、滞在スペースに問題があり、前回03年に来た時は2つのバッティ(宿)しかなかったため、一泊目はバティ、二晩目は追い出され、テント泊となったことをゴラクシェプに入る前に思い出した。
今回はYeti系列のバティがひとつ増え、そこに泊まれることになった。
Yetiは航空会社で数年前からトレッキング事業に本格的に取り組んでいる。主なルートはルクラからナムチェを経由してターメに行きそこからヘリでなんとナムチェの向かいにあるコンデリの麓にあるホテルまで一気に飛んでいくのだ。
その行程にあるすべてのホテルはとても立派で、ナムチェまでの道中、どのようなホテルなのかいつも気になっていた。
Yeti系列のバティだと聞いて、僕は少し気分が高まる
このバティはプレハブで、カトマンズで作られヘリコプターで輸送されてきたという。
中に入ると確かに新しい雰囲気がある。壁はまだ綺麗に白く、カウンターのガラスもこれまで見たくすんだ色ではなく、綺麗に中に陳列さらた商品が並んでいるのが見える。
真ん中にストーブがありそれを遠くに取り囲むように席がある。
お昼はみんなパスタを頼んだ。
ここにきて初めてアルデンテのパスタだった。みな一様にびっくりする。
パスタがアルデンテというだけで、その他の条件、パスタソースやスパイスなど無効にする作用がはたらき、美味しく感じてしまうのだ。
一同は、おおむね「むむ・・・おぬしやるな」的な感想を述べた。
しかし、気になるのが、アルデンテなのはいいが、パスタに芯が多少残っていること。
果たしてこれは意図してできたものか、疑問が残る。

午後になり、先発に出発した村口さんと五十嵐さんが帰ってくる。
BCの状況を聞くと、いたるところにテントがあるという。
今回は推定50隊がここに集まっている。ということは一隊最低10個テントがあったとしても500個はテントがある。
村口さんと五十嵐さんの話によると、テントはいたるところにあり、そして僕たちの隊のBC場所はそのテント村のど真ん中にあるというのだ。
しかもご丁寧にネパール軍の目の前にあるという。
前回はBCのはずれでとても、プライベート感のあふれるBCリゾートともいえるところだったので、今回に限り、これほど遅れてきたのになぜそのような真ん中になったか不思議だった。
どうやら、みんな今年のレギュレーションの厳しさから、ネパール軍の目の前がまるで台風の目のようにあけていたというのが僕たちの見解だ。
そして、気になる今年のレギュレーションだが、どれほど取り締まりの雰囲気が高いということを聞くと、みんなそれぞれ、通信機器をネパール軍にドラムで預け鍵をかけ、必要な時に箱から取り出す、セルフ・レギュレーション(自己監視型)システム(?)らしい。
ということはかえって、ネパール軍の目の前のほうが何かと便利ではないかと想定する。
撮影に関しては、少なくともプジャとお父さんがBCに入るシーンの許可だけはもらったというが、まだまだ状況が見えない状態なので、一応カメラも通信機器も隠して持っていったほうが懸命だろうということだった。
インターネットの欧米情報・エベレストニュースでは、一般の観光客もカメラを預けなければ行かないというような内容が書かれていたため、心配したが、ここゴラクシェプでもそれほど緊張感のあるような雰囲気ではないので少し安心した。
夕方、みんなはカラパタール方面に行った。僕はまだ病み上がりなので、休むことにした。ストーブの前を見ると村口さんがいた。
村口さんと宮崎駿アニメを通した人生観と最近のエヴァンゲリオンといったアニメが伝えようとするテーマなど深く、それでいて非オタク的に語り合ったつもりだが、はたから聞いているときっととてもオタクチックに聞こえただろうなと思う。
ちなみ、夜判明したのだが、五十嵐さんが食べたパスタはベッチョリ系のパスタだった。やはりお昼のパスタは偶然の産物だったのか…

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BCに向けて僕たちの荷物を運ぶヤックたち

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天気 Weather  
天気 Weather:
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low):
湿度 Humidity:
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point ロブチェ
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point ゴラクシェプ
食事 Meals  
朝食 Breakfast オートミル、フレンチトースト
 
昼食 Lunch トマトパスタ
 
夕食 Dinner ヤックカレー
 
Today's Biometrics

遠征日記 4月21日

<三浦豪太日記>

今朝起きると、少し気分がいい。
SPO2と心拍数を計るとSPO283、心拍87
心拍数は昨日より大分落ち着いたものの、まだいつも平均より上回っている。
今日出発しようか考えたが、考えるまでもなく、今日出発しなければ次追いつくのはゴラクシェプになってしまうので、歩いても大丈夫なことを願って出発する。
歩き始めて、あまり足に力が入らないことに気がつく
昨日まで寝たきりだったので、病み上がり状態だ。
それでもいつもよりペースをおとして、ディンボチェのステゥーパのある丘を目指して進む。呼吸もすぐ上がる。今日は心拍計を自分用につけてみたので見るとなんとすでに145とある。
外に出てから100mも歩いていないのにこれほどあがっているのだ、いつもなら、心拍数は120~130に保っているというのに。
まるで高度順化をしていない人のようだ。
前回のディンボチェ滞在と合わせてこの高度に8日間はいるのに、一体全体これはどんな風邪なのだ!!!すごろくのように、風邪を引いたので高度順化マイナス1000mとか言う風邪なのかとおもいながら、ゆっくりと登る。
出発したことを後悔し始めたが、すでに僕の荷物をポーターがロブチェに向かって出発しているので行くしかない。とどまっていては寝袋もないのだ。

8時30分ちょうどに出発して、ツクラに10時半につく。
ちょうど2時間。調子が悪いにしては悪くない時間だ。
ツクラは標高4700m地点にある。ちょうどディンボチェ、ペリチェとロブチェの中間にあるバティのみの村で、ここから左方面に行くとチョラツェを超えてゴーキョピークに行き、右に行くとエベレストBC方面、分岐点にもなる箇所だ。
その為、ここにはひっきりなし人がいる。ここで昨日、夕食を一緒にしたスコットランド人とチェコ人とあう。
昨日、僕が制作したヤックの理想系、やっくんの話をしていたところ、ちょうど本物のヤックが目の前を通った、見ると僕たちの荷物を運んでいる。これがチャンスとばかりスケッチブックを出す。
ヤックをスケッチしていると、なんといつの間にか1時間ほどたってしまった。
お茶2杯しか飲んでいないのにこれは悪いと思い出発する。
ツクラからロブチェに向かうと最初に急な坂を登りきらなければいけない。標高差にして150mほど。
何度も通っている道だが今日ほどつらかったことはない。いくらゆっくり行っても激しい運動しているように体は勘違いしているのだ。それとも本当になまってしまったのか…
45分ほどかけて登りきる。
坂を登りきると、ディンボチェ方面が綺麗に見えるポイントがある。ここにエベレストでなくなったシェルパやクライマーのメモリアルがあるのだ。
38年前に父がエベレスト大滑降の時、アイスフォールのルート工作をしていた時、崩壊事故でなくなったシェルパたちもここに祀ってある。
ここを通る時は必ず、手を合わせて一つ一つ拝んでいく
最初は今回の遠征の無事を祈ろうかと思ったが、もし今回の僕たちのシェルパ達、特に親しい数人も同じ目にあうことがあるかもしれないと考えると・・・・それも違うと思い、
「ありがとうございました、これから山に向かいます、安らかに眠ってください」と
一つ一つ手を合わせた。
するといつのまにかサングラスの中が涙でいっぱいになってしまった。これも風邪のせいだろうかと思い、ペンバと共にロブチェに向かう。
ロブチェに向かう途中も何度か座り込んだ。
脈はいくら休んでも130を下回ることはない。
これで、登山が進められるかと心配しているうちに、ロブチェについてしまった。
産経新聞の木村さんと早坂さんがちょうどECOロッジから出てくるところだった。
昼食を食べ終わったところらしく、叫ぼうかなとおもったがその元気もなくその方面に歩いていくと、向こうが気づいてくれた。
木村さんが、大丈夫ですかと聞かれたので
「気分最高」といいながら座り込んだ。
僕たちはECOロッジという、とても素敵なロッジに泊まった。アシアントレッキングという会社が建てたロッジなのだが、綺麗でシャワーまで完備している。ただし、僕はそれを使うのに今日はもっとも縁遠い。
お昼に兄はここのナポリタンのスパゲティは最高だといってオーダーしてくれた。
確かにとってもおいしかった、トマトソースも自家製なのか、コクのあるソース、適度な塩味、そしてハーブも加えてあり絶妙なマッチングだった。何より麺がアルデンテだったのがいい。
以前、ロブチェのもうひとつ上の谷にイタリアの観測基地があった。ピラミッド型をした基地でその中に入るとイタリア本格派スパゲティが食べられたものだったが、兄に聞くと、今日行ったらもう観測所はしまっていたという。
ということはこのECOロッジのパスタはクンブ地方最高の味を持つのであろう、と僕と兄は意見を一致するのに至るのであった。
僕は、一応、低酸素の勉強をしていたので、ついてすぐに寝るのはいけないというのを知っていたので、一生懸命お昼に書いたヤックの続きを書いていた
しかし、どうも熱でボーっとしていて集中力がない。
SPO2は高い値をだすのだが、心拍数が異常に高い、休んでいるというのに120だ。
これは高山病というよりやっぱり風邪だという自己完結的な答えを出し、ベッドの上にあったかい格好をして寝る。
すると体中から脈を打っているかのようにドックンドックンとする。
ベッドの上で10分も寝てもいない間に兄が来て、これから日本に連絡をするという。
佐治さんが巨人軍の原監督のための激励会を行うので、お父さんがヒマラヤから激励する、という趣旨のものを衛星電話で行うのだ。
これは面白いと思い行ってみる。
回線はクリアに聞こえるのだが、どうやら壮大な激励会のようで原監督は一方的に
「三浦さん、これから大変でしょうが、がんばってください」
と何度もいっている。どうやら場内がうるさすぎてこっちの声が聞こえないようだ。
お父さんが原監督に「がんばってください」というまもなく電話が切れる
激励するつもりが反対に一方的に激励されてしまった。
その後、姉に伝えて、監督にがんばってくださいというメッセージを伝えるのみとなってしまった。
その後また寝て、夕食前にダイニングに行くと、父と兄が、日本人と話している。
その日本人は松原さんといって、ブラジルに帰化した日系人。
ブラジルで商社に勤めていて、今は定年退職をして、世界7大陸の最高峰、セブンサミッツに挑戦しているという。その方はブラジル人の女性を連れてきており、彼女はなんと無酸素でエベレストに登るというからびっくりだ。
松原さんが持っていた、自家製のプロポリスを分けてもらった。これはたいそう風邪に効くというので使ってみた。なんともいえないフレーバーが口の中に広がる。
プロポリスを飲みながら外を見るとヌプツェがオレンジ色に光っている。
久しぶりにディンボチェ以外からの景色を見たような気になり外にでて写真を撮った後、絵を描き始めた。最近何かと絵を描いてしまうなーと思いながらも没頭するのであった

その後、父も日本から持参した高価なプロポリスをくれる。夜に起きたらそれを口に入れればいいということだったが、夜はほとんど起きることなく朝を迎えた。

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<夕景のヌプツェ>

Today’s 360°Panorama
北North 東East 南South 西West
North East South West
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天気 Weather  
天気 Weather: 晴れのち曇り
気圧 Pressure: 564.3 bar
気温 Temperature (Hi/Low): 最高18.5℃ 最低0℃
湿度 Humidity: 46.94%
風速 Wind Speed: 2~8m/s
風速 Wind Direction: 南西
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point ディンボチェ 4300m
中間地点 Mid Point ツクラ 4700m
最終地点 Finishing Point ロブチェ 4900m
食事 Meals  
朝食 Breakfast オートミル、茹で芋
 
昼食 Lunch スパゲティナポリタン
 
夕食 Dinner カルボナーラ、トマトスープ
 
Today's Biometrics

遠征日記 4月20日

<三浦豪太日記>

昨夜から感じた病感は深夜になって本当になった
体中が火照り、節々が痛み、鼻は鼻づまりとなり呼吸不能となり、口から呼吸しようとすると喉の奥が焼けるようにいたい。
完全に風邪の症状だ。しかもかなりひどいほうのもの。
朝起きて、SPO2を計ってみると、SPO2は83と通常なのだが、心拍数は109ときている。寝返りをうっただけでこれだ。
体中が脈を打っているようだ。
今日、本当はロブチェ出発の予定だが、身体は無理だと叫んでいる
そこで、ここで僕だけ一日遅れたらどうなるかということを考えてみた・・・。
本隊のロブチェ滞在は二日間ある、先発は一泊のみでBCを偵察する。
先発には僕はもともと含まれていなかったので、大丈夫。
今日、いけなかったとしても翌日、本隊がロブチェに滞在している間に追いつけばいいか、
と思い、父に相談して、もう一日ディンボチェで風邪を治すことにした。
唯一の心配ごとは父の生理モニター。それは兄に頼むことにした。

みんなは8時45分くらいに出発する
みんな心配そうな顔をしてくれるが、むしろ今日一緒に行動するほうが危険だ。
僕自身は昨日、父と一緒に歩いた時の状態以上にひどい、そしてもし一緒に行動してみんなに風邪を移してしまうことも考えた。
みんなを見送り、しばらく部屋に戻り寝る。
シェルパのペンバが残ってくれた、彼はしょうが紅茶を作ってポットで持ってきてくれる。
午前中は本を読んだり、音楽を聴いたりしてすごす。
お昼になってトマトソースのスパゲティを食べる
なんと誰もいない一日が長いことか。
いつもだったら、高度順化トレーニングや生理データをまとめたり、お茶話をしている間に一日は過ぎていく。
考えてみれば、この1ヶ月、グループから離れて行動するのは初めてだ。
ちょっとしたバケーション気分になった。
午後から少し具合がよくなったのでサンルームに行って絵を書くことにした。
前からヤックを書いてみたかったが、なかなかその機会がなかったので、サンルームからヤックを探す。
すると向かいのバティに2匹の子ヤックがいた。
まあ、大人の立派のヤックではないが、ヤック初心者の僕にはちょうどいいかもしれないとおもい、書き始める。
しかし、この子達、なかなか元気で、落ち着いてくれない。そうするうちに目を画用紙に向けていると忽然と姿を消してしまった。どうやら谷の向こうにきままな旅に出かけたようだ。
書きかけのヤックをまえにどうしようか考えていた。
しょうがない、これをベースにヤックを書いてみようと試みる。
毛を長くしたり、筋肉をつけてみたりするとなかなか様になる。
そのうち、バティの女将さんもサンルームにはいってきて、
「あんた、その鼻長いわよ、まるで馬ね」とか「尻尾はもっとふわふわと」とかいろいろアドバイスをもらう。
すると、なかなか威風堂々としたヤックが出来上がってきた。
もし理想のヤックがいたとしたらこんなものだろう、僕はヤックのやっくんと名づけた。
今回は本当にこの画用紙と色鉛筆を持ってきてよかった
おかげで楽しみの幅が広がった
夜、夕食時、SnowLionロッジにスコットランドから来たカップルとチェコから来たお客がいた。
トレッキングでBCまでいってくるという
世間話をしていると、風邪に効くからといって、ビタミンCをもらった。なかなかいい人たちだった。2ヵ月後日本に来るというから、もし東京にくるなら、鎌倉はいっぱいお寺や大仏さんがあるからいいよ、僕はその隣の逗子という駅にいるから、暇だったら案内するよ、といった
しかし、僕は鎌倉の歴史や大仏についてくわしくない
寝る前にまたまた安請け合いをしてしまったと思いながら、明日は風邪がよくなりますようにと祈りながら眠った。

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<ヤックのやっくん>

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天気 Weather  
天気 Weather:
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low):
湿度 Humidity:
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point 終日ディンボチェ 4300m
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point
食事 Meals  
朝食 Breakfast オートミル ハッシュブラウンチーズ
 
昼食 Lunch トマトチーズパスタ
 
夕食 Dinner トマトチーズパスタ
 
Today's Biometrics