遠征日記 4月23日

<三浦豪太日記>
昨晩の夕食の時のミーティングで、突然僕も先発隊としてBCに入り、BCの事前設営、及び荷物整理を手伝うことになった。
おもったより荷物の到着が早く、25日BC入りのはずが一日繰り上げ、24日にBCに入れることが決まったのからだ。
全員、同時にBCに入ってしまうと、寝泊りするところがないのでとりあえず先発隊が23日に入り、場所を整理してから本隊が翌日に入ることになる。
ここに送る荷物は大変複雑なルートを経由してきたので、全体を把握しているのは僕と五十嵐さんしかいないのだ。
当初、チョモランマに登るためネパールの高度順化用に送る荷物の通し番号とラサに送るための通し番号を作った。
しかし、その後チベット政情が不安定になったため、チョモランマ登山を見据えながらも高度順化の期間をネパールのメラピークで行うかもしれないということで、本格的な装備をラサ行きから抜き、新たにカトマンズ送りの通し番号を作った。
最初の高度順化が終わった時点で、どうもチベット入域自体が怪しいので、エベレストにプランを変更する事になるが、その時にラサに送るはずの荷物もカトマンズ送りとなる。
その番号はラサの通し番号であった。
すべての装備が結局カトマンズに送られることになったのだが、内容と番号がすでにこの時点で複雑になっていた。これに加えて、カトマンズにすでにデポしてあるものを合流させた。
それぞれの荷物が終結した後、今度はこれを各30キロに調整するために、荷物をいろいろなコンビネーションにまとめたものをカトマンズのラクパさんの家で行い、そしてすべてに通し番号を再度振りなおした。その数なんと80以上!!!
しかし、統一した通し番号がないシェルパの荷物と合わせたとき、100頭以上のヤックの背中に乗せた荷物はとてもではないが管理できないのだ。
その為番号は3度4度と書き直され、その情報を殴りがきにしたリストの存在は僕と五十嵐さんしかもっていなかったので、前置きが長くなったが、必然的に僕がBCにいかなければ収集がつかない状態になったのだ。

それまでのスケジュールでは、僕は今日カラパタールに登り、エベレストを拝んでから翌日にBCに入るはずだったのが、突然のスケジュール変更のためそれもできなくなってしまった。
悔しいので、朝4時半におきて朝飯前にカラパタールを上ることにした。
僕は今スケッチブックを2冊持っている。
そのうちの1冊はトレッキングで全部使い切ってしまおうと思っていたものだ。
トレッキングスケッチブックは後3枚ある。そのうちの一枚は絶対カラパタールから見たエベレストを描こうと思っていた。
しかし、朝、アラームで目が覚めず、起きたのが5時だった。
結局、登り始めたのが5時半。7時までにかえらなければいけなかったのでぜんぜん時間がない。
しかたがないので、エベレストが綺麗に見えるところまであがろうと思い登った。
45分ほど登り、頂上まであと20分というところで、腰をすえてエベレストを書き始めた。

朝日はまだエベレストの裏側にある。
カラパタールから早朝にエベレストを見ると、この時期、太陽はエベレストのほとんど真後ろから来ることになる。
僕が腰を下ろした6時15分はまだエベレスト側には太陽の光が当たっていなかった
しかし、しばらくすると日の光が頂上を斜めに照らし始める
日光はまるで鋭い刃物のように斜めにエベレスト切っていた。空の色も、後ろからエベレストに当たる光でさえぎられるところとそうではないところで空は分断されていた。
時間がほんの少したつだけでその光が当たる面積が増えてくる。斜光だった光もだんだん横ばいになってきた
次々と変化するその様子に僕の技術でその時間をスケッチブックの中に捉えきれない。
6時45分、まばゆい光と共に、太陽がエベレストの西稜の肩から突然飛び出してきた
太陽の元気よさをめいいっぱい表現するような登場だった。
その光に一瞬にしてエベレストが消えた
まるでエベレストそのものから太陽の光が発せられるような錯覚を覚え、エベレストを見失った。
しばらくして目が慣れるとおぼろげな影だけが見える。
僕はここが引きどきだと思い、山から降り始める。
とても満足のいく朝だった。

朝8時20分、ゴラクシェプからエベレストBCに出発する
五十嵐さんも村口さんも前日からBCへ往復しているためペースが速い。
一生懸命ついていくが、病み上がりの僕(こういうときだけ病み上がり)にはちょっときついペースなので、自分のペースで行くことにする。
それでも1時間45分ほどでBCついてしまった。
BCにつくとやはり、予想はしていたが、びっくりしたのはテントの数。
まだ入り口しか見ていないが、それだけでも100は超えているだろう。
BCの入り口付近ではナワ・ヨンデルさんがいた
彼はロルワリン(僕たちの使っているトレッキング会社)の出資者の一人であり、優秀なサーダー(シェルパの親玉)でもある。
彼はよく、ネパールの警察の山岳訓練の教官をしている。
今回、いろいろな複雑な聖火リレーの状況がネパールにもとび火して、いろいろ面倒なレギュレーションができている。
ナワ・ヨンデルさんはその秩序を守る側にいる。
むしろそっちのほうが大変だ。理不尽な要求を徹底しなければいけないのだから。

ご苦労さんといって、僕たちのBCに案内してもらう
僕たちのBCは昨日話にあったとおり、ネパール軍の目の前だった。ネパール軍と僕たちのBCの間には小さな小川が流れているが、大きな一歩を踏み出せば簡単に超えられる。
僕たちのBCは本当にエベレストのテント村の真ん中だ。
氷河のモレーンの複雑な地形の中にあり、高低差が激しい。
前にもはなしたことはあると思うが、モレーンというのは基本的には氷河の上にある。
一見岩だらけに見えても石一枚引っ剥がすと氷がしたからできている。
氷河のすごい力が回りの山肌を削ったり、落石によって氷河の上に石を堆積させる。氷河は下方に動くのでどんどんその石はたまっていくことになる。
僕たちがテントを張るのはその石の上で、その石のすぐしたには氷がある。
その為、春、氷が解け始めると激しく地形は変化する。
前回も最初はしっかりとしたテント場だったところが崩れ、最後にはテントが落ちてしまったこともある。
今回の場所はもっと手強そうである。
五十嵐さんのテントは現在の小川があるすぐ横だが、この小川も一ヶ月もたてば立派な川になるだろう。五十嵐さんが流されなければいいが・・・
今日は、BC入り初日で、基地つくりの第一歩だ。
しかし、やることがたくさんビジュアル的に山積みされていて、それで、やる気をそがれる。
まず、ルクラから来た荷物が山積みになっていた。テント場はまだ発展途上、キッチンテントはできているが、場所が悪いので移さなければいけない。
どれから手をつけていいのかわからないので、とりあえず僕たちの寝床をカバーする。シェルパ達に言って、テント場基礎工事を行ってもらう。
彼らはつるはしとスコップで、何でも作ってしまう。そう、まるで氷山を動かしたり氷山を壊したり、巨大な岩を動かしたり粉砕したり、砂利で整地を行ったり、ありとあらゆるBC作成に必要な土木作業をとてもうれしそうに行うのだ。
彼らはトレッキング中はキッチンに入り込みキッチンの手伝いをしたりお茶を運んだりするが、多分彼らの表情が一番輝いているのは、この土木作業のときだろう。
見る見るうちにBCが作られていった。
その後、倉庫をつくり、日本から来た80物ある荷物の大まかな整理を行う
日本で作ってきた輸送リスト、現地においてきたリスト、そして番号を振り返られた表を交互に見ながらの作業だ。
とにかく、息が続かない。
荷物ひとつ動かした後、肩で息をしながらの作業だ。
夕方になるまでには、さっきまで感じていた作業に対しての無力感は大分軽減されていた。
何しろ、すべての荷物を仕分けして見た目だけでも目の前から荷物が消えてくれたのだから。
夕食はシェルパのまいたけカレーとポテト、味付けが抜群にいい。
まだ、五十嵐さん、村口さんと僕の3人だけのBCだ。
なんだがお祭りの前夜、まだ誰も着ていないお祭り会場3人占めしている気分だった。
夜、テントにもぐりこむ
久しぶりの自分のスペース。荷物は全部広げられるし、うまく整理すれば手に届くと頃に必要なものがある空間。
これから厳しい登山が始まる前、自分の空間を持てる人時の幸せを感じながら寝袋に入った。

img_1008.jpg
カラパタールより、朝日に照らされるエベレスト
img_1026.jpg
BCつくりに専念するシェルパ達

.