遠征日記 4月30日
<三浦豪太日記>
ごんパパになる!!!
昨日はC1に泊まった。
6000mの高度では通常あまりよく寝られないのだが、昨日は珍しく夜中から朝まで、熟睡とまでいわないが、睡眠をとることができた。
これは僕にとって不思議なことである。最初の6000mは眠れないつもりで音楽や考え事を用意するのだが、目を開けたら朝になっていたので自分が眠れていたことにびっくりした。
ここからの話は、日記で書くと出来すぎといわれるかもしれないが、妻の加恵が子供を出産した夢を見たのだ。
そして、朝7時30分、C1で朝食を食べているとBCにいる兄から無線が入り
「おめでとう、パパになったよ」 と、連絡が入った。
あまりの偶然にびっくりした、出来すぎだと思う。
でも、やはり実際にC1でパパになった瞬間だった!!!
僕は自分が父親になるということを考えていなかったわけではない
昨日、75歳になる自分の父が、一流のクライマーでも手こずるアイスフォール(氷瀑)を咳で苦しみながらも、C1までたどり着いた。
僕たちは昨日アイスフォールを登り、今日そのアイスフォールを降りてきた。
アイスフォールを通る道のりは険しい。
幾多のクレヴァスを通り、垂直の氷壁を登らなければならない。そのどれもが、簡単に命を奪ってしまう緊張感が満ちている場所だ。空気は希薄で、思いっきり肺に取り込んでも、なかなか体を動かすことができない。
父は全身、渾身の力を入れてそれらを超えていく。時には息絶え絶えになりながらも、少し休んでは、また立ち上がり咳き込みながらも、次の難関を通っていく。ここを通らないと次のキャンプにはいけない、ここを通らないとエベレストには登れない。ここを通らないとBCには戻れない。こんな道しかないのだから、進むのだ。
選んだルートがこんな道だからしょうがないとは言え、まったく理不尽な道だ。
しかし、自ら選んだ道がどこに続くのかというのも気になる。だからこそ父はこんな厳しい道でも登り続けるのだろう。
父親というのはそういうものなんだろうな、と漠然とした思いで父がアイスフォールを登る姿を昨日みて、今日降りる姿を見た。
僕は父の挑戦を側にいながら、ときにはサポートし、ときには共に冒険をしてきた。
僕の父親像は僕の父そのものだ。
いつも何かにチャレンジしていて、いつも誰かを巻き添えにして、そしてユーモアたっぷりにそれを行うのが僕のお父さんだ。
今日、僕は父親としての役割を受けることになった
しかし、すぐに父になれるわけではないだろう
どうすれば父になれるか、それはこれから妻と子供と考えることなのだろう
ただ僕はこんな父親になれたらいいなという人を父に持ち、そして、一緒にずっとそれを考えたいなと思う妻がいる、とても幸せだ。
しかし、見習い父親として本当に幸運に思うのは今、険しい道に父と一緒に歩んでいることではないかなと思うのだ。
なんだかよくまとまらないが、そんな気分で今、高度順化で痛めた体を癒している。