遠征日記 4月29日
<三浦豪太日記>
朝4時にお茶がくるのだが、それよりももっと早く朝起きていた。
今日がはじめての高度順化のせいか、朝4時という早朝にもかかわらず目が覚めてしまった。
久しぶりのアイスフォールを通り抜けるのに少し緊張していたのかもしれない。
その雰囲気は実は僕だけではなく、父も村口さんも五十嵐さんも、みんな朝食を食べている時に感じていた。
みんなあまり口を開かず黙々と朝食を食べていた
気になったのは父の咳だ。
昨日の夜も咳き込んでいたし、今朝おきてからも咳き込んでいた
父はそんな雰囲気を紛らわせようと、
「わしの石炭(咳、痰)鉱業は不況じゃ」
といっていたが、その後、再び咳き込んでしまったため、なかなか駄洒落もしまらない。
そんな朝のスタートだった。
今朝は寒かった、温度計を見るとマイナス9度。
アイスフォールを通るうちに暖かくなるのかなと思ったけど、日が当たる中部についても風が強くなかなか暖かくならなかった
アイスフォールは前回(2003年)と比べると前半部分はあまりクレヴァスにかけた梯子もなく、急な高低差のあるセクションが少ないように見えた。
しかし、中間から終盤にかけてすごく長く感じた。
梯子が3個つながったクレヴァス地帯や、15mはあろうかという垂直の壁があったり、しかもそれがひとつだけではなく連続して7、8箇所と続くのだ。
緊張と実際にアスレチック的な体力を使える箇所が多々あり、高所の酸素の少なさも加えてかなりの疲労がたまった。
それでも父はひとつひとつ諦めずに登っていった。
前回、あと1時間ほどでつくかなと思ったアイスフォール上部についても緊張をさせられる箇所が続くため、その倍の時間、2時間ほどかかった。しかし実際に感じた時間はそれ以上の時間だったかもしれない。
時間的にはアイスフォールを抜けるのに8時間半、前回と比べてもそんなに悪くない時間だが、今日はC1がとても遠くに感じられた。
初めての高度順化はいつどこの山で行っても辛い。
しかし、今回はかなり消耗させられた。
C1についてから、父の咳が心配だったので、まずは父にテントに入ってもらう。
アイスフォール上部についてからは、いいペースで歩くものの、咳が一度始まるとそこでしばらく立ち止まる。空気が薄い上に体力も消耗しているのでかなり辛そうだった。
酸素を吸って体力を回復してもらう。
キャンプに着いたら、まず行わなければいけないのは水の補給だ。
空気が乾燥し、酸素も少ないので呼吸から水分が失われる。汗も相当かいているので、水分の補給を行わないと血液がどろどろになって心臓に負担をかけて、酸素を体の隅々まで送ることができないのだ。
だから、まず僕たちは周りの氷河や雪を砕いてテントのなかでEPIガスで雪を溶かし水を作る。
水を作るのは大変だが、実は僕はこの水を作る作業が好きだ。
五十嵐さんのテントに転がり込み、二つのバーナーとコッフェルを使って水を作る。
ひとつ目のコッフェルは小さめで、まずは氷を溶かす。
氷がある程度解けたら、それを大きめのコッフェルに移し、さらに加熱させお湯をつくる。
小さめのコッフェルはある程度水を残しておいて、次の氷を入れる
それを続けながら沸いたお湯でお茶を飲むのだ。
お茶を飲みながら、お茶話をするのが好きなのだ
水分を取るとスポンジが水を吸収するように、身体が潤うのがわかる。
SPO2を見ると70、心拍数はなんと120
下界のスポーツジムで運動しているくらいの心拍数だ。
座っているだけなのに一分間に心臓が120も鼓動している、僕の心臓さんは大変だろうなと思いながら、五十嵐さんと今逗子ではアワビがおっきくなっている頃だろうなという話をする。
夕方5時頃に沸いたお湯で夕食を作る。
キムチ鍋とアルファ米といういつもの定番メニューだ
今回はSBの「キムチの素」を使い、ふんだんに海鮮乾物を入れたおかげでとても美味しいご飯をいただくことができた
夕食後、まだ6時半だが、みんなそれぞれテントに戻る
高度は6000m、なかなか眠れる高度ではない、寝袋の中でごろりとしているだけの時間だ。音楽を聴いてもなかな眠れないので、しょうがなく、スケッチブックを出して今日の光景を思い出して絵を描くことにした。
父が氷壁を登っているところを描いているうちになんとなく眠くなったので、目をつぶるとなんと朝になっていた。